【新・関西笑談】火を噴くアーティスト(3)現代美術作家 ヤノベケンジさん(産経新聞)

 ■太陽の塔と戦った男を探し北海道へ 話を聞いて、僕ものぼる決意をした。

 −−チェルノブイリでのパフォーマンスは作品として発表したのですか

 ヤノベ 廃虚のなかをアトムスーツで歩く写真は作品として展覧会で発表しましたが、人が写っている写真はどうしても使う気がしなかった。発表するまでに2年半ぐらいかかりました。きっかけは、展覧会を見た高校生が「放射能防護服を着て現地に行った気になった」と言われたこと。それを聞いて、僕自身が受けた現実を見せて伝えていかないと、と思った。

 −−チェルノブイリから戻ったアトムスーツ・プロジェクトはどうなったのですか

 ヤノベ 原点である大阪万博に戻ることになります。万博公園内にあり、老朽化で解体直前だった国立国際美術館で個展「メガロマニア」を開くことになった。そこで、自分のすべての創造物を見せようと思った。同時に、僕のイマジネーションの聖地でもある大阪万博に対してどういった行動を起こせるかという思いもあった。

 −−行動とはどういうことですか

 ヤノベ 未来の廃虚をもう一度体験しようというプロジェクトです。平成14年にエキスポタワーが解体されることになり、アトムスーツで立ち合って写真撮影しました。

 −−どういった作品を展示したのですか

 ヤノベ エキスポタワーは立ち入り禁止でしたが、こっそりとのぼって約100メートル上空の展望室に入ったことがある。そこには草がうっそうと生えていた。空中都市の廃虚に新しい生命としてもらい受け、タワーの一部とともに展示しました。

 −−大阪万博といえば、岡本太郎さんの太陽の塔が有名ですね

 ヤノベ 僕の集大成でもある個展ということで、太陽の塔とどう戦うかも課題だった。かつて太陽の塔と戦った男として、目玉男がいたのを思いだした。万博をつぶせといって、赤いヘルメットをかぶって塔のてっぺんの目玉にろう城した。いろいろ調べたが、なぜ彼が太陽の塔にのぼったのかという記述はなかった。わかったのは、北海道の旭川出身ということだけ。

 −−ひょっとして探しに行ったんですか

 ヤノベ マイナス10度の旭川に行き、電話帳で調べたが見つからなかった。半ばあきらめて繁華街で石焼きイモを買い求めたおばあさんに、「大阪万博のときに」と問いかけると「塔に上った男のことか」という。うそみたいな話ですが、そのおばあさんが目玉男の住所を教えてくれた。

 −−それで会いに行ったんですか

 ヤノベ はい。すぐそばでランジェリーショップを開いていた。そして、店に行って、なぜ塔にのぼったのか聞くと、大阪で開かれた「ベトナムに平和を!市民連合」の集会で、国家権力に反対する若者たちと対話するうちに、「反万博といっていても実行しないと意味がない。塔の目玉に上ればいい」というと、逆に「言い出しっぺがやれ」と言われて、やることになったという。

 −−その話を聞いてどう思ったのですか

 ヤノベ ベトナム戦争の当時とこの当時とは非常にシンクロしていると思った。ちょうどその年、米国がイラクに侵攻した。その後、パフォーマンスとして僕も太陽の塔の目玉にのぼる決意をした。

 −−許可は得たのですか ヤノベ 内部の撮影許可は得ていたのですが、管理する職員さんがいなくなったすきに、アトムスーツを着用して目玉にのぼった。そしてその様子を収録したドキュメンタリーを展示することに。メガロマニアは、太陽の塔やエキスポタワーを使った集大成ともいえる個展となった。(聞き手 今西和貴)

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